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入れ墨
ニュージーランドの先住民族マオリの女性が「顔の入れ墨」を理由に、北海道恵庭市の温泉施設で入浴を断られていたことが明らかになった。
2020年の東京オリンピック開催に向け、菅義偉官房長官が「外国の文化に対して敬意を払い、理解をおし進めることが大事だ」と述べるなど、波紋を広げている。

報道によると、女性はマオリの言語指導者で、唇とあごの入れ墨は「モコ」と呼ばれる伝統的なもの。
アイヌ民族の行事のために来日していた9月8日、関係者とともに温泉施設を訪れたが、入浴を拒否された。
女性側は「反社会的な入れ墨とは異なる伝統文化であり、差別ではないか」と抗議したが、施設側は「入れ墨に威圧感や恐怖感を覚える人がいる」「背景までは判断できない。
入れ墨が見えれば一律で断っている」と説明したという。

公衆浴場ではしばしば、「入れ墨お断り」という注意書きを見かけるが、そのようなルールによる入浴拒否は、どこまで許されるのだろうか。

●入浴拒否は「差別」にあたる可能性がある

「このような入浴拒否は、合理性を欠く差別として許されない可能性があります」

その根拠はどこにあるのだろうか。

「『法の下の平等』を定めた憲法14条です。
条文には『すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分または門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない』と書かれています。

憲法は本来、国と国民の関係を規律した法ですから、温泉施設の管理者と利用者の間、すなわち私人間に直接憲法が適用されるわけではありません。
しかし、そこで結ばれた契約が『公序良俗』に反するか否かの判断の際には、憲法の趣旨が間接的に及びます」

入浴拒否が「差別」となるかどうかは、どう判断すればいいのだろう。

「差別的取り扱いが許されるかどうかは、目的や手段が社会通念上、合理的かどうかで判断されます。

本件の場合、人によっては『暴力団排除の目的は合理的である』『不利益覚悟で入れ墨を入れたのだから、温泉に入れなくても我慢しろ』と考える人もいるでしょう。

しかし、あえて言いますが、入れ墨を入れている人が、すなわち暴力団といえるのでしょうか。昔の任侠映画ならともかく、最近の経済ヤクザはタトゥーなど入れません。
外見では暴力団員と分からない者も多いです」

●タトゥー(入れ墨)の有無による入浴拒否は「合理的」ではない

「逆に、今やタトゥーはファッションとして、若者に広く受け入れられています。
サッカーやバスケットの選手などは、タトゥーだらけです。
安室奈美恵など、芸能人にもタトゥーを入れている人は多くいますし、弁護士にだっています。

そういったものや、今回の事例のように文化的な意味をもつ入れ墨は、反社会性とは無縁で、暴力団員でないことも明らかです」

時代は変わった——ということだろうか。

「社会通念は、時代によって変化します。
かつて『長髪』は反社会性の象徴でした。
米映画『イージーライダー』(1969年)で、主人公のキャプテン・アメリカは長髪を理由に住民に撃ち殺されます。
でも、いま長髪にそこまでの意味を見いだす人はいないでしょう。

それと同じで、もはや『入れ墨=暴力団』という考え方こそ偏見です。
暴力団排除という目的を達成するために、全ての『入れ墨』を拒否するというのは、もはや手段として合理的とは認められないでしょう。

現実に、外国人観光客の多いニセコの温泉では、事実上、入れ墨拒否というルールを撤廃した施設が多数あります。
また、『入れ墨お断り』としながらも、一見して暴力団関係者といえない場合は黙認している施設も多いようですね」

日本でも古代~江戸時代にかけては、一部の入れ墨が『刑罰』として使われていた時代もあったようだが、いまのタトゥー(入れ墨)はそれとは完全に離れた存在だ。
「入れ墨」の存在だけをもって、その人の反社会性を判断するのは、もはや不可能だということなのだろう。
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